Dr.KENの「こだわりのトラ」

トラを愛し続けて、はや20数年。
俺にトラを語らせろと故郷山形から大阪へ!
こだわりのタイガースネタにお付き合い下さい!
                      題字:ワシ
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2010.04.14 Wednesday

マイスウィートホーム
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 ↑ ↑ ↑
ホームスタジアム最高や!!!

そうや、最初っから采配なんか、監督なんかいらんかったんやww
そうや、最初っから甲子園なんかいらんかったんやwww

今季最大の鬼門となるスーパーアウェー球場の6連戦を終えたタイガースは、
その傷めた翼を休めるべく、心休まる母なる地へと帰ってきた。
東京ドーム。そう、ここが今季のタイガースのホームスタジアムなのだ。



・・・・・あれはいつの頃だったか。

彼は生まれ故郷である山形で慎ましくも健やかなる日々を送っていた。
ラジオもない、携帯電話もない、ネットもない。たまにくるのは回覧板。
そんな少年時代。

もの心がつきタイガースファンである自我を認識しきつつあった少年は、
雨の日も風の日も、いつもいつもジャイアンツ戦を心待ちにしていた。
ジャイアンツ戦。それは唯一「動くタイガース」を応援することが出来る日。
それは少年にとって何物にも変え難い、キラキラ光る宝石箱だった。

ナイター放送開始の夜7時を心躍らせ待つ。いよいよ「動くタイガース」が始まる。
・・・・・ピ、ピ、ピ、ポーン。7時。

待ちに待ったテレビに映し出されるスコアは、0‐5、0‐6、0‐7。
いつもそんなだった。厳しい現実が突きつけられる。
タイガースが動き出したとたん、試合はすでに終わっていた。

7時になった瞬間、3点差までだったら「よしっ、今日はまだいけるぞ!」と強がった。
そんな感覚を今でもよく覚えている。本当に不憫な少年時代だった。



そんな少年が初めて「プロ野球のプレイボール」をその目にしたのは、
タイガースを追いかけ大阪へと渡った18歳の春だった。
「0‐0から始まる野球」がそこにはあった。
その日からサンテレビが少年にとっての宝石箱となった。

そしてタイガースは昨日、あの日見た漆黒の情景がオーバーラップした場所から、
奇跡の逆転劇を演じた。奇跡の生還を果たした。

トリ、新井、ブラ、広大、マートン。ありがとう、本当にありがとう。



満面の笑みを浮かべたkokoroが、何度も何度も繰り返し宙に舞った夜。

そして父親となったあの日の少年の、尋常ならざる上機嫌を確認したkokoroは、
「やきうおわったからドラえもんみていい?」と告げた。

父親は負けず劣らぬ満面の笑みで「いいよ♪」と応えた。
母親は鬼の形相で「あんた、ほんま、エエカゲンにしろや」と・・・。

そんな夜。


っていうかいったい、このチームはどこのジャイアンツなんだwww





※ 四六時中テレビばっか見てるkokoroは、夜のアニメは基本禁止されている。
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Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(4) | - |


2007.04.21 Saturday

虎ウマ〜恐怖のプロ入り初ヒット〜
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長いこと阪神ファンをやっていると、誰でも「虎ウマ」の1つや2つくらいある。 もちろん僕にもいっぱいある。 あれはさかのぼること10数年前…、僕がまだ山形で暮らしていた時代、そう田村が神に昇華する前の年の出来事だった。 阪神1点リードの9回裏、横浜スタジアムのマウンドには田村、場面は2死2、3塁。 一打逆転サヨナラのこのチャンス、まともな代打が切れていた横浜(大洋?)は、途中からマスクをかぶっていた今久留主を、そのままバッターボックスに送るしかなかった。 しかしこの男がプロで放ったヒットはゼロ。

「ギリギリまで追い詰められたが、何とか土俵際で踏みとどまれた」。 そのとき阪神ファンの誰もがそう思った。 僕ももちろん例外ではなかったが、一応とばかりに僕はいつもの儀式を行った。 部屋の明かりを全て消し、枕で頭を抱えベッドの上にうずくまり、ラジオから流れる音声だけに神経を研ぎ澄ます。 そしてそのまま3アウトの瞬間まで、阪神がピンチを脱することのみを願い続けるのだ。 ただこの日に関して言うと、今日は大丈夫だろう…という油断が心にあった。

――「フラフラッと打球があがった!」
アナウンサーの声が聞こえた。
「よし、勝った!」、その声色を聞いてそう確信したその刹那。
――「内野後退、外野前進前進…!」
アナウンサーの声は徐々に大きくなり、最後はほとんど叫びとなった。
――「落ちたあ、落ちてしまったあ!」
ま、まさか…。

逆転サヨナラ負け、、、いまくるす、、、、、
打ちとっていたのに、、、、、
変わった名前だったから覚えていたってこともあるんでしょうが、昨日狩野の放った文句無しのサヨナラ打(プロ入り初ヒット)を泣きそうになりながら見届けたとき、この名前が10年以上のときを経てやっと、「トラウマ」から「思い出」に変わったような気がしていた。

長いこと阪神ファンをやっていると、ほんまいろいろあるよ…。
昨日はそんなことを考えさせられた。
おめでとう、ありがとう、最高やったで、狩野!
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(2) | trackbacks(0) |


2007.02.17 Saturday

「暗黒時代」…1…
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そこのお若いあなた、あなたは「暗黒時代」を知っていますか?

たぶん一般的には、1987年〜2001年の15シーズンがこう呼ばれているんだと思います。 この時代、我が愛しのタイガースがAクラスを確保したのは、みんなが幸せになれた夢のようなシーズンだった「1992年」のみ。 それ以外は全てBクラスどころか最下位が10回…。 このチームね、お若いあなたが見ている「今のタイガース」と実は同じチームだったんですよ。

昨日自分で「暗黒時代」とか書いたせいで、ちょっと走馬灯が走り出しちゃいました(笑)。 だもんでちょっと書いておきます。 おじいさんが孫に戦時中の話を繰り返し繰り返し聞かせるようにね。 ネタに困ったときにまた書こうと思ったんで、タイトルに一応番号も付けておきます。 続きがあるかどうかはわかりませんけどね。

今日は「開幕スタメン」について書いていこうと思います。

黄金期を迎えつつある今の阪神、2007年の開幕スタメン予想は、
(1)赤星 (2)関本 (3)シーツ (4)金本 (5)今岡 (6)濱中 (7)鳥谷 (8)矢野 (9)福原
辺りが、皆さんも妥当かなと思われるところじゃないでしょうか?
もちろん相手の開幕投手は「Mr.男気 黒田」でしょうから、左を使うか過去の相性を考える場合もあるでしょう。 「林」とか「赤松」とか楽しみな選手もいます。 でもまあ、妥当と言えばやっぱり↑↑↑辺りじゃないでしょうか?

現在のこのオーダーのルーツを辿ると、「暗黒時代」を抜けたと言われている「2002年・星野元年」の開幕スタメンから傾向が見てとれると思います。
(1)赤星 (2)今岡 (3)片岡 (4)アリアス (5)桧山 (6)坪井 (7)矢野 (8)藤本 (9)井川
どうです、あんまり違和感なく見れるんじゃないですか?
ここから5年の歳月を経て、「金本の入団」「鳥谷の入団」「シーツの入団」、そして恒例となった「関藤の争い(ショート)」「濱桧外の争い(ライト)」があり、今のオーダーに熟成したという感じがします。
坪井、懐かしいなぁ。 今年も頑張って欲しいなぁ。

でもね、このたった1年前。 2001年の開幕スタメンがどうだったか、皆さんもう忘れてるでしょうね。 僕ももちろん忘れてましたよ。 では今からそれを発表したいと思います。 

びっくりしないでくださいよ! 凄いですから!
「暗黒時代」ってこんなに凄い時代だったんだって感じてください!




(1)平下 (元・F1セブン5号車 現・ロッテ控え)


(2)上坂 (元・F1セブン4号車 現・鳴尾浜タイガース)


(3)坪井 (元・振り子 現・再契約で日ハム)


(4)クルーズ (元・バースの再来 後中日 現在不明…)


(5)ペレス (元・オマリーの再来 現在不明…)


(6)矢野 (今年も元気な38歳、顔文字使い)


(7)今岡 (ゼブラ時代 ※2002年以降の今岡とは別人です)


(8)沖原 (元・F1セブン3号車 現・楽天で微妙な立場)


(9)星野伸 (176勝左腕 阪神では3年で7勝…)




‥‥‥‥‥‥( ´,_ゝ`)


 

どーですか?
ちなみにこの開幕戦(対巨人)のスコアは、「●3−17」……。

凄いよ、凄過ぎるよ、暗黒時代…。
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(8) | trackbacks(0) |


2007.01.31 Wednesday

きゃんぷい〜ん、目前っ!
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♪やった♪やった♪やった♪やった♪やった♪やった♪やった♪やった♪
球春到来! 明日2月1日はプロ野球キャンプインの日!
今のところは、別に沖縄、安芸に行く予定も無いんですけど、なんかウキウキしてきたよ♪

出不精な僕ですが、実は過去に1回だけキャンプを見に行ったことがあります。
あれは2002年、そう星野監督就任後初の「安芸キャンプ」でした、、、、、


「星野タイガース」初の紅白戦を明日に控えたその日、僕はもいつものように居酒屋で遅い晩メシを食べていました。 だいぶ前に書いたことがあるんですが、結婚前に毎晩のように行っていた店ですね。 ここで僕が「キャンプに行きたい、キャンプに行きたい」とうだうだ言っていると、通称「シェフ」と呼ばれる男がのってきました(通称っていうか、ほんまにイタリアンのシェフなんですがw)! 「オレが運転していったるから、お前(僕)が交通費を出せ」という条件で、深夜2時過ぎに安芸に向け出発しました。 いやぁ言ってみるもんや(笑)。 僕はけっこう酔ってましたが、シェフは飲まないのでシラフです。 ってか、あんた阪神ファンやったけ…?

完全にノリによる行き当たりばったりの行動だったため、予備知識も地図も無く、ただただ「高知県」の標識だけを頼りにずんずん車を走らせていきます。 高速をどこで降りるかも知らなかったため、名前に惹かれて1個手前の「大豊」で降りてしまうアクシデントなんかもありつつ、なんとか朝の8時には安芸市営球場に到着しました。 「土佐ロイヤルホテル」を見たときはテンションが上がったなぁ。 後で知ったんですが、あれは「たいほう」ではなく、「おおとよ」って読むらしいですね(笑)。

お昼からの試合に備えて球場の場所取りを済ますと、屋台なんかをうろうろしました。 昼食はもちろん「1,001円の仙一弁当」です(笑)! スタンドでは、後援会みたいな人達と記念撮影していた「赤星」と「上坂」が、僕の目の前50cmを通過するというサプライズもありました。 そういや「ダンカン」と「阪神ファンのテレ朝のアナウンサー(名前忘れた)」も視察(?)に来ていましたね。 いつもの甲子園とは違うキャンプ独特の雰囲気もいいもんでしたね。

あーそうそう、今回の僕のキャンプ視察には3つの目的があったんです。
1つ目が、「星野仙一の(タイガースの)ユニフォーム姿」。   (現日本代表監督 兼 阪神SD)
2つ目が、「片岡篤史の(タイガースの)ユニフォーム姿」。   (現解説者)
3つ目が、「テスト入団 原田健二のサイドスローにラブはぁとラブ」。   (現阪神打撃投手)

この3つの目的は一応達成することが出来たんですが、もう記憶が曖昧なんでざっくりと。 

初めて実際に見た「星野監督」は、綺麗に整備された足跡一つ無いグラウンドに颯爽と現れ、観客に手を振ってくれました。 あれが星野流の演出だったのかはわかりませんが、ゾクゾクしましたね。 変なオーラが見えましたよ(笑)!

試合の方はというと、楽しみにしていた「原田」は1イニングだったと思うけど、超ナイスピッチングを披露!!! この日からを境に、僕の原田に対する期待は「富士山よりも高く大きく」膨らみました!
原田健二! 楽しい夢をありがとう! 
「片岡」はたいした見せ場は無かった気が…?
試合展開は確か、9回に金沢がズタボロに打たれたくらいしか記憶にない。

ただこの紅白戦には、星野監督の提案で、「負けたチームの選手は土佐ロイヤルまで走って帰る」というペナルティーがついていた。 一応これは「ベテラン免除」だったんですが、走らんくってよかった片岡も若手に混じって国道を走っていた。 チームに溶け込もうと頑張っていた、このときの片岡の背中は素敵でした(はぁと)。 金沢はよっぽど悔しかったのか、海の方の歩道みたいなところを1人で泣きながら走っていましたね。 


これで、2002年の昔話は終わります。

僕達2人はまったく睡眠も取らず、夜8時前くらいにスタート地点の居酒屋にまた戻り、「安芸キャンプに行って来た自慢」を夜中まで延々と話続けていました。 若いっていいね! シェフはその当時で40前だったけど(笑)。


※ たぶん探せばいっぱい写真が残ってると思うんで、気が向いたら後でUPします
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(4) | trackbacks(0) |


2007.01.14 Sunday

昔話1992
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↓↓↓でやっております プレゼントプレゼント企画プレゼント 今日の夜が〆切りとなっております!
 プレゼント ここですよ

この不人気企画を宣伝して頂いている天使のような方がいらっしゃいます。
「Gold Rush6」にて、金本知憲選手への愛を綴っておられますkisaragi-earthsさんです。
kisaragiさんは…、、、っていうか今更説明しなくても皆さん知ってるはずなんで割愛(笑)。
kisaragiさん、いつもありがとうございます。 あなたは麹菌から生まれた日本酒の天使です!

こんなこともあり、お礼がてらコメントしてた「今日のエントリー」の中に「92年」の文字が。 この一言で僕の奥のほうにしまっておいた記憶がジョギングザッジョギングザッジョギングザッジョギングザッジョギングと顔を出してきました。
なんでついでに記事にしてしまおうって訳です(kisaragiさ〜ん、ネタありがとうw)。


1992年、この年山形から大阪にやってきた僕を祝福してくれるように(?)「亀新フィーバー」が巻き起こり、久し振りにタイガースは強かった。 あと一歩だった。 ペナント終盤、優勝へのプレッシャーからかタイガースは敗戦を重ね、甲子園で行われるヤクルトとの最終2連戦で連勝することのみが逆転優勝の条件というところまで追い詰められた。 しかしタイガースファンは信じていた、きっと勝ってくれると。

この年から、甲子園でタイガースに声援を送れるという夢のような生活を送っていた僕は、当然この2試合のチケットの前売り券を徹夜で並び手に入れていた。 しかし、あろうことか当日券の列にも先頭で並んでいたんです、意味も無く(笑)。 もう並んだのが3日前だったか4日前だったかも忘れちゃいましたが、この数日で甲子園近くのコンビニのお弁当の入荷時間まで覚えちゃいましたよ(笑)。 なんでこんなことをしてたかというと、大阪に来て初めて生の阪神ファンを見た僕は、「視界360度阪神ファンに囲まれた空間にいたい」という変態じみた夢を実行に移したんですね(爆)!

ただあの当時の阪神ファンはけっこう荒れている人も多く、チケット発売の声がかかったときはそりゃーもうひどかったです。 甲子園を2周くらいしていた並びの列が一気に崩れ、凄い勢いで多くの人が我先にと割り込んだんです。 列はもう無くなっていました。 あっちこっちで揉め事が起こり、甲子園の周りはゴミの山でした…。 あんな凄いゴミだらけの悲しい甲子園は後にも先にももう見れないんじゃないかなぁ。 ほんとにひどかった…。 

チケットを買うことが目的では無かった僕は、発売開始と同時に列を離れたんで、びっくりしてる人もいましたね。 もしこの日のニュース映像とか残っている方がいれば、たぶん僕が「絶対勝ちます!」とか言ってる映像があるかも知れないですよ! なんせ、徹夜で並ぶ(頭の悪い)ファンとして、朝昼夕晩流れてたらしいんで(笑)。 まさか、大阪での行動を山形の母親に見つかって怒られるとは夢にも思って無かったなぁ。 「そんなことさす為にあんたを大阪の大学に行かしたんちゃうで!」っていうのを山形弁で怒られましたね。 拝啓おふくろ様、その節はすいませんでした。

まぁ試合の結果はと言うと、皆さんもご存知のように、マイク仲田を最終戦に温存し裏目、9回パチョレックの焼け石のソロもむなしく、最後の打者久慈が倒れ、スワローズの優勝となりました。 僕は目の前で起こったことがあんまり理解出来ず、ライトスタンドでぼーっと立ち尽くしていましたね、ホロホロと泣きながら。 今思うとこの時僕は、「優勝出来んかった…」と言うより、「ほんとに楽しかったシーズンが終わってしまったのか…」と言う気持ちが強かったような気がしましね。 それほど1992年のタイガースはエキサイティングなチームでしたし。

試合が終わって甲子園から出ると、ずーっと外で寝泊りしていた疲れが急に出てきてしまい、消化試合になってしまったし明日の最終戦はどうしようかなぁとも思ったんですが、「今年のチームには最後にちゃんとお礼せんとアカンやろ」と言うことでまた甲子園に泊まりました(笑)。 もうね何日甲子園に泊まったかわからないです、はいアホです。

でもこの日、家には帰らず甲子園に泊まった人はたくさんいましたよ。 僕もそうでしたけど、不思議と明るく話している人が多かったと思います。 負けたショックよりこの年の阪神がどれだけ強かったか、いつ終わるともない話を朝になってもみんな笑顔で話続けていました。 
「この経験でタイガースは強くなるよっ!」って! 

そして、そのみんなの願いもむなしく、その後のタイガースは再び「暗黒時代」へと帰っていくこととなるんですが、なにか…?  
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(6) | trackbacks(0) |


2006.10.31 Tuesday

昔話2003 その2
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右肩を三日前に寝違えました。
日を追うごとに痛みが増すんですけど、寝違えってこんなんでしたっけ?
でも、「球児も同じ痛みを感じてたんだろうなぁ」と妄想してると楽しいです(笑)。
(球児の場合はこじつけっぽかったですけど)

あー、今日紅白戦かぁ、見たいなぁー。
玉置とか高橋とか、竹の子みたいにこのキャンプで伸びて欲しいなぁ。
ヤスは当たり前のようにアピール出来るんだろうけど、問題は違うとこにあるしね(笑)。
阪神が心理カウンセラーを導入したら、ヤス20勝するかなぁ? 
さて、昨日の続き。


車椅子生活となった僕は刺激の少ない入院生活の中で、野球の始まる時間だけを楽しみに過ごした。 TV中継の無い日は外泊許可を取って、ケーブルの映る知人の家へ連れて行っってもらったりもし、この年、ほとんどの試合をTV観戦した。 20数年阪神ファンをやってるけど、ここまで阪神だけに特化した生活を送った年は無かったし、これからも無いと思う。 そしてこの年、阪神は快進撃を続ける。 

僕はリハビリを続け、松葉杖なしで歩けるくらいまで足が回復してきた9月、阪神は18年振りの優勝へのマジックを2として、一週間のロードへ出た。 ロード中の試合数は6。 普通で考えれば、阪神はチャンピオンとなって甲子園に戻って来ると誰もが思うんだろうが、僕はなぜか「阪神は甲子園で優勝する」と不思議な想いを抱いていた。 ロードで負けてもいいから甲子園で決めて欲しいとか考えた訳でも無く、本当に理由も無くそう思っていた。

甲子園に戻って来る阪神ナインを迎えてあげないと! 僕は当然のように3日前から当日券の列に並び、なんとか一塁アルプスの自由席を確保。 あまりの混乱からチケットが前倒しでの発売となったため、一旦家に帰りゆっくり休めたのは助かった。 「9月15日」を迎えたのは、再び甲子園に戻り、アルプスの席の確保の為の列の中だった。 夢に日付の入ったこの日、「朝8時過ぎ、手すりを掴みながら一歩づつ階段を登った事」「片岡の同点ホームランから涙が止まらなくなった事」、この2つの記憶が強い。 なにせ泣き過ぎてて、ほとんど胴上げは見れなかったし(笑)。

優勝が決まったら引っ掛け橋に行こうとか、朝まで飲んで騒ごうとか、いろいろ考えていたんですが、実際に優勝を目の当たりにしたとき、一人になりたい自分がいました。 祝勝会を一時間足らずで抜け、家へと帰りました。 TVでは全てのチャンネルで朝まで阪神優勝特番が流れていました。 
「甲子園での阪神の胴上げに一緒に参加する」
小さな頃からの夢が現実となったとき、僕は誰ともうまく話せなかったんだと思います。 一人で朝まで泣き続け、知らないうちに落ちていた眠りから覚めたときは、もうお昼をまわっていました。 その後、近所のコンビニの顔見知りのおばちゃんに頼んでいた阪神優勝を報じるスポーツ紙セットを買いに行き、それを読んでまた泣き、TVのニュースを見てまた泣き、優勝のシーンを思い出してはまた泣き、ずーっと泣いていました。  

骨折していなかったら、たぶんこの「至極の1年」は過ごせてなかった。
この骨折は、神様がずっと弱い阪神を応援し続けてきた僕にくれたプレゼントだと思っています。 
「神様、ありがとう! 人生で経験した事の無いもの凄い痛みだったけど、感謝していますっ!」

この後、仕事も変わる事となり、その他もまぁいろいろ(笑)。
僕がおじいさんになってもこの一年の記憶は色あせてはいないと思います。
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(4) | trackbacks(0) |


2006.10.30 Monday

昔話2003 その1
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先日、アクセスが増えて感謝って書いたんですが、その後数日落ちないんですヽ( ´ー)ノ
いつもの大体50%増しで推移しており、そして昨日、とうとう大台突破祝
27日 497(新庄メイン)→28日 495(バカ親メイン)→29日 500(バカ親メイン)
皆様、ありがとうございますヽ(^-^ )   シカシランキングハダダオチ( ´Д`)
てっきり「新庄効果」やとばっかり思ってたんですが、もうこれは間違い無いかと‥‥
アクセスUPの原因は、「kokoroちゃん効果赤ちゃんであると断定しますっ(爆)!
さぁブログタイトルの変更でもしようかな(←おい!)


今日も阪神の動きは少ないので(汗)2003年の昔話でも。
(そうそう済美の「高橋くん」が監督に注目されてましたね! よしっ!)

2003年3月某日、「両踵骨粉砕骨折(りょうしょうこつふんさいこっせつ)」をもって、僕の人生の大きな変革の年となった「至極の1年」は動き出した。 「複雑骨折」の上に「粉砕骨折」なんていうハイグレードな骨折があるなんて事は、このとき初めて知りましたが(笑)。 要は、両足のかかとが砕け散ったって事ですね(泣)。
長野県白馬村でのた打ち回るも、何とか大阪に帰り着き(タクシーでっ!)緊急入院→手術と相成りました。 しかし、待てど暮らせど手術の日取りは決まらず(何かね、直ぐ切ったら血がブワーって出るらしい)、やっと決定した手術日は何と「セ・リーグ開幕前夜冷や汗」! 
これはまずいっ、こちとら手術なんて初めてだ! 麻酔が切れた後の痛みが予想出来ない。 痛過ぎて開幕戦が見れないなんて事だけは避けなければ!と、執刀医の先生にいろいろ探りを入れてみるが、そんな虎キチのおバカな悩みなどまともに相手にもしてくれる訳も無く、「大丈夫だと、思うよ」と素っ気無い回答。 結果的には、痛いながらも開幕戦は観戦可能となったんで非常に良かったんですが、この試合が、虎が新しい歴史へと踏み出す「奇跡のシーズン」の幕開けだったなんて事は、この時のおバカな僕には知る由もありませんでした。
清恵会病院の皆様、その節は色々ご迷惑をお掛け致してすいませんでした。 同じ病室だった熱烈横浜ファンのOさん、元気にしてますか? あのときは対阪神で横浜が1つも勝てず、かなり葛藤があったと思いますが、キレる訳でも不機嫌になる訳でも無く、負けた横浜はここが悪かった、勝った阪神はここが良かったと、素直に評価してくれるあなたは「プロ野球ファンの鏡」でした。 ルーキー久保田が、満塁のピンチで高橋由を三振に切って取った「伝説のフォーク」を投げたとき、横浜ファンにも関わらず、凄い投手が出てきたなぁと興奮して話してくれた事は、今でもよく覚えています。 Oさん、またどこかで逢えるといいですね。 
久保田はあのときから、あまり成長していませんよ(号泣)。


思いの他長くなりそうなんで、続きは次回。

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2006.08.24 Thursday

ラジオの中のタイガース
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僕が初めて「阪神ファン」と出会ったのは18才の時でした。

この「偏愛ぶろぐ」を見て頂いている方はご存知だと思うのですが、僕は「山形出身」である。 小学生の時に「平田勝男のバント」にラブを射抜かれ、山形県民初の「虎キチ」となった(誇大表現w)。 周りに野球好きは多かったんですが、巨人以外は放送が無いという土地柄もあり、阪神ファンに会う事はありませんでした。 地元のスポーツ紙(1社しか記憶にありませんが)でも、試合結果以外で阪神に触れる記事はほとんどありません。 当然ネットもありません。 実家で取っていた朝日新聞に阪神の記事が載った日は、切り抜いて何度も眺めていた記憶があります。 毎月予約購読していた「月間タイガース」だけが僕の情報源でした。

こんな僕に「試合が見てぇ!聞きてぇ!」という欲求が湧き上がる事は当然の事で、中学生のある日、僕の挑戦は始まったのです。 「大阪のラジオ放送」を拾えないか? ちなみに距離は800キロくらいだと思います。 何でこんな無理っぽい事を考えたかというと、どこで聞いたかは忘れましたが、知らないおっちゃんの会話で「夜は空が澄んどるから、いろんな電波が届くんや」と言っていた事を思い出したからです(会話は大阪弁に変換しております)。 僕は日が落ちると、家にあった2つのラジオを持って、家中で調査を開始したのです。 しかし、たまに野球の音が拾えても巨人ばかり。 「おっ! 巨人か…」「おっ! 巨人か…」 確かこんな事を数日繰り返していた時の事です。 雑音だらけのラジオから「大阪弁の人の声」がっ! 「ザー…なんでやねん……なんでやねん…ザー…(当時のイメージですw)」  「もしやっ!」

これが、20年来のお付き合いとなっている、「1179」並びに、心の師「ミスター虎 唐渡吉則」との記念すべき出会いでした祝 偶然にも受信出来たのは、僕の部屋だったという嬉しいサプライズもあり、ここから僕の「リアルタイムの虎」との生活が始まりました。 始めのうちは日によって電波状況にムラがあり「今日は聞けるのか!?」と毎日が不安でした。 その後、徐々に安心して野球が聞ける事がわかると、その場所(僕の部屋の西手で、受信可能な方のラジオを設置し、アンテナを微妙な角度に立てる事により夕方からのみ、1179が拾える場所)は僕の「聖地」となりました。 

来る日も来る日も僕は「1179」を聞き続けました。 映像が無い分想像力は掻き立てられ、阪神のチャンス、ピンチの時の緊張感は言葉では表せない程でした。 確か、ピンチの時にはいつも部屋の電気を消して「中西ふんばれ〜」とか祈ってましたね。 なんかピンチのイメージばっかりがありますけど(笑)

今思えばこの「映像が無い」という環境が僕の「虎キチ人生」を形成した大きな要素となったと思います。 そして、この頃から僕の「大阪進出計画」はスタートしていくのですが、この話は後日また機会がありましたら。


最後に。 
そのラジオは20年以上経った今でも「聖地」に置いてあります。 ここは僕が阪神と苦楽を共にしたスタート地点であり、ラジオのスイッチを入れると、少ししゃがれた「唐さん」の声が今でもきっと聞こえる筈です。
Writer : Dr.KEN | 昔話 | comments(8) | trackbacks(0) |






 

 

 

 

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虎暮らし 自称阪神タイガース評論家の日記
虎暮らし 自称阪神タイガース評論家の日記

虎ブロガー界の鉄人、torao改め鳴トラさん渾身の処女作!